『剣道は刀剣の理法の修行にある、竹刀の法ではない。原典を学ぶ事は出発である。』
とは、吉永法文先生の理論である。
理法には物理と心理があり古典の伝書を精読すれば、いたる所にこれを見出すことが出来ます。しかし刀剣操法の基本については記述が少ないのです。
これは刀剣を取り扱うことが平常の生活であったため、殊更に書き残す必要がなかった為と思われます。
これにひきかえ現在において刀剣は美術品であり、真剣を以て演武することもほとんどありません。
このため刀剣操法の基本を改めて見直さなければならないのです。
吉永先生が言っておられた、
定義に従がえば、当然のように真剣斬と竹刀打ち及び形は、一致すべきであるが残念乍、この三体がばらばらのように思われる。
二目と見られぬ無様な姿を人目にさらし写真に残されたり、
全く気の毒と云うよりしかたがない。
当て屋・斬り屋・抜き屋に落ちぶれないように気をつけよ
検証(正しい事を証明する)は真剣で、実証(確かな証拠)は真剣で出発すべきであろう。真剣斬と竹刀打ちは一致すべき——–論証は真剣で 実証は真剣で出発である。
との言葉を心に留めおき、わが素遊会では真剣斬・道場形・竹刀剣道の三体を一致すべく練習を行っております。