富山可誠(第2代鹿島神傳直心影流富山派・大日本武徳会教士)
明治19年六月生まれ。富山圓の長男1940年(昭和15年)富山可誠が紀元二千六百年奉祝天覧武道大会に指定選士で選ばれている。父儀秀とともに富山圓につき影流を学ぶ(台湾武道専門学校)このとき息子の可誠先生は相当の腕前だった。西の富山可成、東の高野佐三郎と称されたが可誠先生は早くに死去されたので文献にはほとんど記載(日本武道専門学校に記載のみ)が少ない。圓先生はうちの可成は子供の剣道をすると(笑いながら)しかし其の時には可誠先生は師範代であった立ち合い事すらできないとお話があった。しかし早くしてなくなられた為歴史には残っていないがもう少しな長く生きておれば日本の剣道界も変わっていたかもしれない(素遊)